平成17~22年
昨日3人の女性が入院中のK先生を訪ねて来られました。K先生を囲むための同窓会とのことでした。お一人はわざわざ東京から来られていました。今から70年前、附属小学校にK先生が教育実習に来られた時の生徒さん達でした。現在K先生は92歳、70年間も師弟関係をずっと維持されているということに深く感銘を受けました。一ヶ月前には、砥部中学でK先生に習ったという生徒さん達が病院に来られました。総勢15人、皆さん70歳でした。記念写真を撮るために並んでいただきましたが、私が「K先生とあまり歳が変わらないように見えますね」というと「何を言うか」と怒られました。「先生、わしらの名前覚えとる」と一人の方が尋ねると、15人全員の名前をすべてお答えになられました。これには、私もびっくりしました。K先生が教育者として、一人一人と真剣に接して来られたことの証しだと思いました。
皆さんにも忘れられない先生がいらっしゃることと思います。私もそうです。私が中学生の時、見学旅行で海軍兵学校跡地に行きました。記念館に入ったところで、館長に「お前は何故帽子をかぶっているか。すぐに脱ぎなさい」と大声で怒鳴られました。「なんでそんなに怒られんといけんのやろ」私はふてくされた少年になりました。せっかく楽しい旅行に来て、他のお客さんのいる前で大声で怒鳴られたわけですから、見学もそこそこにして、二階に上がりました。すると皆がざわついていました。「大森先生が泣きよる」見てみると英語の大森先生が、陳列ケースにある遺書を見て泣かれていました。詳しく聞くとそれは大森先生のお兄さんが特攻隊で出陣する時に書き残された遺書でした。その下の段には、潜水艦の乗務員が事故で浮上できず、酸素が徐々に薄れていく中、筆記用具が無いために自分の指を刃物で傷つけて血で書いた遺書もありました。私は頭をハンマーで殴られたような気持ちになりました。お国のために、自分の命を投げ出した方々の魂の眠るこの記念館に帽子をかぶって入ったことを本当に申し訳なく思いました。それから、心を入れかえ、姿勢を正して、また一階に下りて丹念に展示物を見て回りました。最初に展示してあったものは、あの「坂の上の雲」にも出てくる、広瀬武雄中佐の返り血を浴びた船長のコートだったことを今でもはっきりと覚えています。記念館を出た時には、私は愛国少年に変わっていました。あの日あの時、大森先生がお兄さんの遺書の前で泣かれる姿を見せていただけなかったら、今の自分の祖国や郷土の歴史を重んじ、ご先祖様に感謝する気持ちを持てなかったかも知れません。大森先生の泣かれる後ろ姿に教えられたような気持ちでいっぱいです。心が素直で、かわいらしくて影響を受けやすい時期に、K先生のような素晴らしい先生に巡り合えた方々とともに私も良い先生に巡り合えて幸せだと思います。
平成22年分より