平成25年
パーソン・センタード・ケアにおける新しい文化 その1
「認知症をもつ人」から「認知症をもつ人」へ
認知症になると直前のことを忘れたり、今どこに居るかがわからなかったり、家族のことがわからなくなったりします。しかし、うれしい、悲しい、好き、嫌い、楽しい、寂しいなどの感情は豊かに残っています。それ故、今まで出来ていた事が出来なくなった辛さや不安、覚えの無い事で叱られた嫌な気持ちなどはずっと心の中に持ち続けるのです。認知症になった方の心の中は千々に乱れ、不安やあせり、悲しい気持ちでいっぱいなのです。
パーソン・センタード・ケアでは、認知症の方の脳神経障害に焦点を当てるのではなく、この豊かな感情を有する「こころ」に焦点を当てています。
従って、捨て去るべき古い文化の第一は、「認知症は、人格と自己が進行的に破壊される、中枢神経系の恐ろしい病気である」であり、取り入れるべき新しい文化は「認知症の症状を示す病気は、障害として見るべきである。症状の進行はケアの質に決定的に依存する」なのです。
古い文化では脳神経障害である「認知症をもつ人」と考え、新しい文化では「認知症をもつ人」と、人を中心に考えることに大きな違いがあります。
認知症をもつ人の介護を困難とする症状の一つにいわゆる問題行動があります。徘徊や妄想、攻撃的な行為や不潔行為が挙げられます。最近ではこれらの行動が認知障害という基本的な症状に身体的、心理的、社会的影響が加わって生じるものと理解され、「認知症の行動心理症状」Behavioral and Psychological Symptom of Dementia(BPSD)と呼ばれます。すべてのBPSDには理由があると考えるところから良質なケアは出発します。
たとえば、徘徊の激しいAさんの場合。朝の天気予報を見てから落ち着きが無くなることに看護師が気付きました。カルテの生活歴には「若いときから農業一筋で、頑固な性格。住宅地に開発されようとした養子先の田を頑なに守り抜き、入院する直前には田植えをしていた」と書かれています。看護師は「もしかしたら、田んぼの水の具合が気になって徘徊するのではないだろうか。それなら、散歩に連れて行ってあげよう。田んぼの水を見せてあげたら落ち着かれるかもしれない」てきめん、徘徊は少なくなり、農作業のことについて看護師が聞くと、いろいろな事や苦労話をしてくれるようになり、すっかり落ち着いて生活されるようになりました。すべてのBPSDには理由があると考えましょう。100人の徘徊の患者さんがいれば、100通りの理由があるのです。これまでに体験した皆さんの鋭い観察力とその人を丸ごと包み込む良質なケアの体験談を是非聴かせて下さい。職員全員のレポート提出を求めます。
平成25年3月24日