平成24年
平成24年3月11日坂村真民記念館がオープンしました。その1週間前に記念館の竣工式があり私も参加しました。砥部町の中村町長は真民先生の「鳥は飛ばねばならぬ 人は生きねばならぬ 怒涛の海を飛びゆく鳥のように 混沌の世を生きねばならぬ」が好きである旨を披露されました。続いて祝辞に立たれた松前町の白石町長は、中村町長が本当に好きなのは、「光る 光る すべては光る 光らないものは ひとつとしてない みずから光らないものは 他から光を受けて光る」であると断言され会場は大爆笑しました。
さて開館当日、中村町長は真民先生の東日本大震災の日に開館日を合わせたことの意義を説明し「体の中に光を持とう どんなことが起こっても どんな苦しみのなかにあっても 光をけさないでゆこう」の詩を引用されました。被災された方への心よりのメッセージでした。加戸元愛媛県知事は「愛媛産には愛がある」という書を真民先生にいただき、県の農産物が非常に恩恵を受けたとお礼を言われました。数人の政治家の挨拶のあと、奥島孝康元早稲田大学第14代総長が登場されました。奥島先生は宇和島東高校1年生の時、クラス担任が真民先生で、詩の清書や英訳をまかされ、自宅にもよく遊びに行かれたそうです。その時のおひな様のようにかわいい子たちが真美子さんたち3姉妹でした。真民先生40歳、超然とされていて、次元の違う世界に居られる人として、諸先生方からも一目置かれていたようです。奥島先生には外観からして哲学者、人間は枯れていて、透徹した目を持っていらっしゃるように思えたとのことでした。最後に高見順の言葉を引用されました。「枯れて生きる 生きて枯れる 立派に枯れるために 壮(さか)んに生きる」まさに真民先生はこのような生き方をされた方ではなかったかと思いました。しめくくりは真美子さんでした。真民先生の「ねがい」を朗読されました。「一人の願いを 万人の願いに 一人の祈りを 万人の祈りに 一人の夢を 万人の夢に 一人の歩みを 万人の歩みに 高めてゆこう 広めてゆこう 守らせたまえ 導きたまえ」何と素晴らしい詩、何と美しい声と、感動の中に真民記念館は開館しました。
平成24年3月24日