令和5年
44年ぶりに会った浪人時代の先輩と「対馬に会いたいなあ」という話で盛り上がり、それからというもの、同じ寮で仲良く生活した対馬に会いたくてたまらなくなりました。
長崎県の壱岐、対馬の対馬出身だから、あだ名が対馬となったこと、出身校が長崎星雲高校(「巨人の星」の星飛雄馬の高校と同じ名前)であることは覚えていました。しかし、本名はまったく出てきません。そこで44年前に下宿していた広島YMCAの寮に連絡してみました。寮母さんは亡くなり、娘さんも亡くなり、その娘さんのご主人が一人で、空き家になった寮を管理しながら、自分の家に住んでいます。
ご主人に電話しましたが、繋がらず、ショートメールで当時の寮生の名簿の問い合わせをしました。数日経って、当時高校生だった娘さんから「父は入院中です。その対馬さんの名前は確か佐伯さんだったと思います」という返事をもらい、これで対馬生まれ、星雲高校出身、本名が佐伯の3つの手がかりができました。
長崎星雲高校のホームページを開くと、同校出身の有名人の中に、黒田成彦平戸市市長の名前があり、昭和35年生まれと書いてありました。黒田市長は佐伯くんの同級生であることがわかりました。
7月30日、平戸市市役所の黒田市長に宛てて手紙を書きました。半日かけて、丁寧に書きました。同封したハガキの裏には「対馬元気か。会いたい。ここに電話してくれ」と私の連絡先を書き、表の佐伯くんの住所は黒田市長に記入をお願いしました。
8月2日、黒田市長からメールが届き、「今後、機会を見つけて消息の確認をしてみたいと思います。9月の連休には星雲二回生の同窓会が開催されますので、その時にでも確認できることを期待しています」と書いてありました。
そして、9月6日、黒田市長から「昨日の夜、同窓会の佐世保市の代表者から佐伯くんの携帯電話番号が届き、本人と会話できました。先ほどハガキに住所を記入して投函しました。結果を出せて良かったです」というメールをいただきました。
ついに9月10日、対馬と話すことができ、お礼のメールを黒田市長に送りました。「思いがけなく中城先生ともこのような繋がりができたことを何かのご縁と思っております。いつの日かお会いできますことを楽しみにしております」という返事をいただきました。来年必ず対馬に会いに行き、その足で平戸市長を表敬訪問します。
苦しかった浪人時代のかけがえのない友のおかげで、また新しいご縁ができました。
令和5年11月24日
砥部病院 院長 中城 敏