令和5年
最近ぐっすり眠ることは少ないが、昨晩はよく寝た。天国に行った夢をみた。
天国までの道のりは険しく、長かった。手の施しようのない末期の癌と診断された時、目の前が真っ暗になった。帰宅して、妻にそのことを告げる。妻は気丈に振る舞ってくれた。「大丈夫よ。あなたが逝ったら、住宅ローンはチャラになるから」。この言葉に覚悟を決めた。
書き留めた文章を製本して、生前お世話になった人たちに、感謝の気持ちを込めて配ることを考えた。徐々に病状が、悪化してくる。昼間は、文章を書いたり、整理したり、看護師さんと会話して、気が紛れるが、夜はどうしようもない。
告知を受けた時から、これが自分の運命であったと悟ったつもりだった。夜中に目が覚める。真っ暗な海のど真ん中に、放り出されたような気持ちになる。息苦しくて、手足も自由にならない。痛みは、モルヒネでコントロールされても、今まで経験したことのないような全身倦怠感は、どうにもしてもらえない。もがき苦しむ自分の姿があった。
ついに、食事が喉を通らなくなった。主治医は私に背を向けて、妻に「首からカテーテルを入れて、高カロリー輸液をしましょうか」と言っている。声は出せなかったが、心の中で「やめてくれ」と叫んだ。癌の末期で高カロリーの輸液をされて、良かった人を見たことはない。舌癌の人は、見る見るうちに癌が大きくなって、舌が口からはみ出した。癌の末期に点滴など必要がない。癌に栄養を与えるだけである。心不全に拍車をかけて自分を溺れさせる気かと腹が立った。「静かに、枯れるように逝かせてくれ」と心の中で叫んだ。
妻は、いつも私の横に座り、手を握っていてくれる。付き合っていた頃の話、子供が小さかった頃の思い出話をしてくれる。ひと時ではあるが、幸せを感じる。うっすらと目に涙をため、それでも笑顔を保とうとする妻に、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
ついに、旅立つ時がきた。普通に呼吸しようとしても顎があがる。下顎呼吸だ。家族が私の周りに立っている。みんなにお別れしようと、薄目を開けてみると、私の方ではなく、心電図モニターを凝視していた。険しかった峠を越えた。やっと天に召される。激痛と、どうしようもなかった全身倦怠感から解放され、体が軽くなっていた。
天国には、既婚男性用に2つの門があった。一つ目の門には、「生前奥さんの言うことばかり聞いて、自分の思うような人生を送れなかった人はここから入れ」と書いてある。そこには何万人の人が行列を作っていた。
自分の思いのままの人生を送った、と信じる私は、次の門に向かった。そこには、「奥さんの言うことなど一切聞かず、自分の思いのままの人生を送った人はここから入れ」と書いてあった。これこそ、自分のくぐる門だ。
一人の男性が立っていた。元総理だ。愛媛県民を代表して、獣医学部を建設していただいたお礼を言った。そうして、「総理どうしてここに並んでいるんですか」と聞く。元総理は即座に答えた。「妻がここに並べと言ったのです」。
令和5年3月24日 砥部病院 院長 中城 敏