令和4年
令和4年9月15日 中島博志砥部町町議会議員が亡くなられました。生前にお約束していた弔辞を書き、告別式で読んでもらいました。
弔辞
徳本総師長と一緒に「えびすや」に行った時、中島さんは厨房の中に居ましたね。覗いてみると、えびすやの若女将(わかおかみ)が、お弁当の見本を一つ置いて、それを、いちいち、確かめながら、一生懸命に、おかずを詰めて居られました。
権現さんが洪水にあった時、率先して川底の掃除をし、大きな看板を撤去されていましたね。また、風邪にもかかわらず、雨の中、ひろたの桜並木のライトアップの準備をして、寝込んでしまいました。私が病院にまでお連れしたことを思い出します。
しんどいことを率先して行う、その姿は、ひろた地区の若者に、大変良い影響を与えたと思います。中島さんの残された最大の遺産だと思います。
今年7月、主治医の先生から、右頚部に再発した癌は大きくなり、緩和ケアが必要、との手紙に愕然としました。
抗がん剤の副作用とみられる発熱を機に、当院に入院されました。中島さんは、職責を途中で投げ出す形になり、気管切開をした状態で、ボードに「くやしい」と書かれた文字が、強く印象に残っています。
久美子さんが、ベッドの横で中島さんの手をにぎり、いろいろと話しかけていました。聞こえているとは思いますが、その声に反応できる体力が残っていませんでした。
最後の2日間は、痛みの訴えもなく、すやすやと休まれていましたね。覚悟を決められていた久美子さんが、中島さんが亡くなる前夜、廊下で、「早く楽になってほしいとは思うけれど、お別れするのはいや」と泣きながら言っていました。本当に美しい夫婦関係を見せていただきました。
中島さんが愛したひろたは、本当に美しい村です。枝垂れ桜やネムの花、中島さんがライトアップしてくれていた桜並木、初夏には新緑が芽を出し、蛍が飛び交い、タラの芽や自然薯、アメノウオなどの山の幸が豊富で、権現山のそうめん流し、こぶし(ログハウスの店)のたらいうどんは最高です。
これから、中島さんに薫陶を受けた若者たちが、もっと、もっと、ひろたを元気にしてくれると思います。どうぞ、天国からひろたを見守ってください。
長い間、本当にありがとうございました。どうぞ、安らかに、お休みください。
令和4年11月24日