令和4年
街に出るのもこれが最後かと、八坂通りを北上した2年前、観音寺の黒板に、「身の程を知るな、身の丈を越えよ」と書いてあるのを見た。
長年の同志、徳本福子総師長が去られ、寂しくてたまらず、無力感にさいなまれていた時のことである。自分の人生はこんなものだったか、と半分あきらめたような気持ちになっていた時、この言葉に出会った。
論語の中に、自分は力が足りないから教えを実践できないと言った弟子に、孔子は「今汝は画(かぎ)れり」と諭したという一節がある。「画れり」とは、何かを行う前に、自分で自分の能力に見切りをつけているという意味である。
「身の程など知らなくて良い、自分自身に限界を設けるな。歳や環境を言い訳にして、努力することから逃げてはならない。自分の身の丈を越えられるように、生涯努力せよ」と観音寺の和尚は教えてくれた。
3月25日、「久しぶりに街でごはんしませんか」と古代ローマの建造物をモチーフにテレビコマーシャルを展開している浅田組の浅田社長に誘われて街に出た。
再び、八坂通りの観音寺の前を通った。そこには、「原発を止めよう」の立て看板の上に、立派な文字で「自分の物差しで問うのではなく、自分の物差しを問い直そう」と書いてあった。
「自分の物差し」で、ウクライナ侵攻を続けているプーチン大統領に聞かせてやりたい言葉であるが、自分自身を振り返って、「自分の物差し」は本当に大丈夫なのかと不安になる。得た情報は一度、飲み込んで、体の中で発酵させなければならない。様々な方向から物事を判断しなければ、大変な間違いを犯す。
浅田社長とワインを飲みながら、全く職種の違う我々がどうして出会ったのかという話になった。思い返すと13年前の参議院議員選挙で、みんなの党から出た桜内ふみきさんを応援した時の同志であった。
選挙事務所の中で一緒に居ると、浅田社長には、仕事上のいろいろな情報が入ってくる。浅田社長の口癖は「裏を取れ」だったことを思い出す。多方面から情報の証拠を固め、社長が自分で考えて判断を下したからこそ、今の浅田組がある。
患者さんにおいても、自分の物差しでは測れない、患者さん自身の底力、生活環境、家族の関係がある。その都度、「自分の物差しを問い直す」ことが、自分自身を成長させる。「身の丈を越える」ための源になるのである。
令和4年4月24日