令和4年
むかし、むかし、ある所に、心優しい、おじいさんとおばあさんが住んでいました。子供のいない二人は、犬のポチをとてもかわいがっていました。ある日のこと、裏の畑でポチが「ここ掘れワンワン」となきます。良いおじいさんがそこを掘ると、大判小判がザックザックと出てきました。それを見たとなりの悪いおじいさん、ポチを借りて、畑を掘ると、ゴミの山。怒ってポチを殺してしまいます。優しいおじいさんは大変悲しみ、ポチにお墓をつくり、木を植えると、それがみるみるうちに大きくなりました。
良いおじいさんはその木で臼をつくり、ポチが好きだったお餅をつきます。すると大判小判がザックザックと出てきました。それを見たとなりの悪いおじいさん、臼を借りて餅をつくのですが、またもや、ゴミの山。怒った悪いおじいさんは臼を燃やしてしまいます。
悲しんだ優しいおじいさんは、その灰をもらって帰ります。それが枯れ木にかかると、桜の花が満開になりました。お殿様は、大変喜んで、たくさんの褒美を出します。隣のおじいさんも、灰をまきますが、お殿様の目に入り、牢屋に入れられてしまいました。
良いおじいさんと悪いおじいさん、おこなった行為は同じなのに、結果はまったく違うものになっています。行為に込められた心根が違うと、結果に大きな差ができるということを、私たちの祖先は伝えたかったのだと思います。
マザーテレサは、ホームレスの人たちにパンとスープを配る時、「機械的に配るのをやめなさい。目と目を合わせ、微笑んで、手に触れて温もりを伝え、短い言葉をかけなさい」と言っています。
「置かれた場所で咲きなさい」の著者、渡辺和子もまた、修道院で皿を配るシスターたちに、「やっつけ仕事をしてはいけない。この席で食事をする人に幸せが訪れますように、と祈りながらお皿を並べなさい」と言っています。
今、目の前にいる人が喜んでくれて、初めて仕事になります。作業と仕事の違いがここにあります。真心を込めて行う仕事は、患者さんの心に大判小判がザックザック湧いてきますが、心の伴わない作業では、患者さんの心にゴミが溜まります。
患者さんが、お風呂に入れてもらう時、介助してくれる人の心根がよくわかると言っていました。心がこもっていない入浴介助は、荒っぽくて、とにかく痛い。心を込めて、丁寧に体を扱ってもらうと、気持ち良くて、またお風呂入りたいという気持ちになるとのことでした。私たちの職場は、心を見透かされていることを肝に銘じた次第です。
令和4年2月24日