令和3年
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった」
これは川端康成の有名な小説「雪国」の書き出しである。
未だ終息を迎えていないコロナ禍の中、「雪国」の冒頭文を借りてみた。「コロナ禍の長いトンネルを抜けられる、と思ったのは、闇の先に光が見えたからだ。喜んで線路の上を手を振りながら走った。その光は、向こうから走ってくるオミクロン列車のヘッドライトだった。顔の底が真っ青になった」。こうならないよう、さらに警戒する必要がある。
さて、早稲田大学元総長奥島孝康先生と初めて出会ったのは、2009年10月4日、道後の花ゆづきホテルだった。上甲正典済美高校野球部監督に呼び出されて行った。そこには、元愛媛木材市場社長井上昌俊さんと、今啓パール社長今井啓介さんが同席していた。今井啓介さんの自己紹介を受けて、私には鬼北町の下大野に斯波圭介というおじさんがいたという話をした。すると、奥島先生が、「その人は、俺のおじさんでもある。お前と俺とは親戚である。この歳になって、新しい親戚を見つけるとは嬉しい。親戚の契りを交わそう」と言ってくださった。以来、奥島先生が松山に来られるたびに、私に声がかかるようになった。
奥島先生からは、いろいろなことを教えていただく。12月11日に来られた時、先生は「人のために流す汗は自分を鍛え、自分を強くする。人は涙によって優しくなれる」と言われた。私たちに置き換えれば、「患者さんや患者さんの家族のために一生懸命働くことは自分を強くし、流す涙は自分を優しくする」ということになる。クールな対応しかしない者は、強くも優しくもなれない。働き方次第で、私たちは成長できるのである。
翌日、先生と2時間半、風呂に入った。小さな居酒屋で焼酎を飲んだ。この時教えられたのが、広辞苑の編者新村出(しんむらいずる)の言葉「自然を愛し、偶然を喜び、悠然と生きる」である。この三然主義を胸に生きていると言われた。その晩三然主義の夢を見た。「(妻の)天然を賛美し、偶然を受け入れ、悠然と生きる」であった。今年1年間ご苦労様でした。
令和3年12月24日