令和3年
中学2年生の女の子に数学を教えている時、夏休みの読書感想文の相談を受けた。「夏の庭」を選び手渡した。あらすじを紹介する。
死んだ人を見たいと思った少年たちが、近所で、いつ死んでもおかしくないという噂の、一人暮らしのおじいさんを観察することにした。
死ぬ瞬間を見逃さまいと、おじいさんの家に毎日行く。草ぼうぼうのゴミ屋敷である。割れた窓ガラスはガムテープで新聞を貼り付けただけだった。見張りをするときに、悪臭がするからと、少年たちが、何年も溜まっているゴミを出すところを、おじいさんに見つかる。ここから少年たちと老人との交流が始まる。
その後、おじいさんはゴミを出すようになった。少年たちは家の修理を手伝い、やすりのかけ方、ペンキの溶かし方、刷毛の使い方、のこぎりの使い方を教えてもらう。スイカをご馳走になったり、打ち上げ花火を見せてもらったりするのである。
ある日、少年たちがおじいさんに戦争に行ったことがあるかと聞く。少年たちがしつこく知りたいと言うので、重い口を開き、「怖い話だぞ」と言って話し始めた。
おじいさんが、目や口にうじがわいてうごめく死体の山を乗り越えて、ジャングルをさまよっていた時、ある村を発見する。ここで、何日かぶりの食事と新鮮な水にありつくのだが、村人を生かしておいたら敵に通報されるかもしれないと、全員を殺すことになる。おじいさんは、逃げた若い女を追いかけて、後ろから銃で撃った。うつぶせに倒れた女を裏返すと、妊娠していた。腹を触ると赤ちゃんがピクリと動いた。何の罪もない娘と、お腹の中の子を殺してしまった。このことが忘れられず、復員しても奥さんの待つ家に帰らなかった。自分のしあわせをすべて捨てて生きてきたのである。
少年たちとの交流を通じて、生ける屍のような状態だったおじいさんが、活気を取り戻し、少年たちはおじいさんから、いろいろなことを学ぶ。
フランスの作家・哲学者であるボーヴォワールは、高齢者だけが集まって暮らすことに懐疑的であり、高齢者が他の年齢層の人たちと混じり合って暮らせる集合住宅を理想としていた。「夏の庭」のように若い世代との交流で、老人は活気を取り戻す。
女の子に「夏の庭」の感想文を見せてもらった。「数学を教えてもらった整形外科の診察室は、私にとっての『夏の庭』です」と書いてあった。女の子から、私は、あの死にかけの、世捨て人の老人に見えたのだろうか。
令和3年8月24日