令和2年
堀内修三先生が今月末をもって退職されます。堀内先生には大変お世話になりました。17年前の南高の同窓会で、砥部病院で一緒に働こうと誘ったことが、つい昨日のような気がします。
堀内先生のお母さんはピアノの先生で、若い時は音楽の先生をしていました。砥部の中学校に勤務していたときは、マドンナ的存在でした。砥部町役場で助役(副町長)を務めた麻生の柳田清勝さんはその時の教え子です。
自転車で風に颯爽と髪をなびかせてやって来る、若くて綺麗な先生をびっくりさせてやろうと、柳田さんたちは、ピアノの中に、ヘビやカエルを入れていたそうです。堀内くんのお母さんは、ピアノの蓋を開けてびっくり、泣きながら帰っていったそうです。
そんなかよわいお母さんも結婚して、ひと回りもふた回りも逞しくなられました。高校生の時、堀内くんの家に遊びに行くと、玄関先でお母さんは両手を広げて待っていました。パンパンと私の制服のポケットを叩き、「中城くん、今日はお酒もタバコも、持ってきてないね。お入り」と言われました。堀内くんの部屋に行くと、机の引き出しからはタバコ、開きからは日本酒の一升瓶が出てきました。お母さんに言いつけてやろうと思いました。
南高の同窓会は前身の松山高等女学校の卒業生から、若い卒業生までが一堂に会します。堀内くんのお母さんは当時愛媛県の子女教育のトップだった松山高等女学校に入学、戦後学制が変わって、松山南高の第2期生として卒業されています。私は29期生ですから、敬意を表して、2期生の集まる前の方の席に行き、堀内くんのお母さんに「大好き、大好き」のハグをしました。お母さんは「修三でも、こんなことはしてくれん」と大変喜んでくださいました。
こんなお母さんに育てられた堀内先生は、素直で、穏やかで、病棟の看護師さんから慕われています。堀内先生ほど人格者で、相談しやすい先生はいません。山本内科の往診担当医師になってからも、砥部病院の病棟も受け持っていただき、いざという時の迅速な気管切開、CVC ルート確保など、お願いするとすぐにしていただきました。夜間の呼び出しにも、気軽に応じてくれました。今後、堀内修三大先生(私の携帯にはこう登録しています)の抜ける穴は大きいと思います。
堀内修三大先生に餞の言葉を贈ります。「喜怒哀楽の総量が人生を決める。身の程を知るな。身の丈を越えよ」(小田島雄志と観音寺の和尚さんの言葉より引用)
令和2年7月24日