令和2年
先日、松山インターの近くの昌福寺で、観音様の日、1月18日(土)に「老いも認知症も妻もあきらめて生きる」という題で講演をしてきました。
「あきらめる」の本義は「物事を、明らかに、正しく見極めて、それをあるがままの姿で受け入れる」という意味であり、「老い」も「認知症の人」も「妻」も、まず「あるがままの姿を受け入れること」が大切であることを、具体的例を挙げて説明してきました。
この日、和尚さんから、大変ためになる話をしていただきました。
和尚さんは先日、佐賀県立博物館・美術館で洪浩然(ホン・ホヨン)の書を見てきたそうです。浩然は、1593年豊臣秀吉の朝鮮侵略によって12歳のときに鍋島直茂(佐賀藩祖)によって捕えられ、佐賀城下に連れて来られました。
浩然はその後、書の才能を発揮して直茂・勝茂(初代佐賀藩主)父子に仕え、1657年、勝茂の死去に際し76歳で殉死をとげました。
和尚さんはその絶筆の書に感銘を受けたそうです。忍という字が、打ち込みと止めなどを強調した独特の書体で、たくさんの「コブ」があることにより、力強さを感じたとのことでした。それを和尚さんが手本にして書かれたのが下の書です。
「忍ぶはすなはち心の宝 忍ばざるは身の殃(わざわい)」と書いてあります。子供の時に拉致されて、日本に無理やり連れて来られた浩然が子孫への遺言として書いた書です。
辛いことがあったとしても、忍耐していると、それは心の中に、宝として蓄積されるが、忍耐できずに周囲に怒りを撒き散らしたり、愚痴ばかり言ったりしていると、それは身の災いになるという教えです。
今、砥部病院には電子カルテが導入され、不便さや大変さだけが強調されています。不便さを建設的な意見にまとめあげ、改良していけば、紙カルテ時代を振り返って、懐かしく思い返す時代がきっと来ることでしょう。
今、私たちがやるべきことは、電子カルテに慣れること、さらに、タッチタイピングの練習を地道にして、心の中に宝を蓄積することではないでしょうか。
令和2年1月24日