名誉院長の麻生だより
「余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解していた。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬることかと思っていたのは間違ひで、悟りといふことは如何なる場合にも平気で生きて居る事であった」。脊椎カリエスに侵され死を目前にして、正岡子規が達した人間の究極の境地が表現されています。
ロンドンにいる漱石あてに出した子規の最後の手紙には次のような一節があります。「僕ハモーダメニナッテシマッタ、毎日号泣シテ居ルヨウナ次第ダ(略)書キタイコトハ多イガ苦シイカラ許シテクレ玉エ」。子規がこのような壮絶な闘病生活をしていたにもかかわらず、自立した生活を送っていたのだと私が確信したのは、映画「こんな夜更けにバナナかよ」を観てからでした。
主人公の鹿野靖明(大泉洋)は幼い頃から筋ジストロフィーという難病を患い、24時間365日、他人の助けがなければ生きていけないのに、病院を飛び出し、ボランティアに助けられながら、自分の思い通りの生活をしていました。
深夜2時まで、ワイン片手に喋りまくり、挙句の果ては「バナナが食べたい」と言って、ボランティアに来ていた安堂美咲(高畑充希)を走り回らせるシーンに、何とわがままな障害者かと思いました。しかし、「動けないのだから我慢するべき」と言うのは健常者の論理であることに気がつきました。
もし、正岡子規がこの映画を観たとしたら、次のように言うことでしょう。
「余は今までいはゆる自立といふ事を誤解していた。自立といふ事は、如何なる場合にも、他人の助けを借りずに、自分でなんでもできることかと思っていたのは間違いで、自立といふことは、如何なる場合にも、自分のやりたいことを自分で見つけ、自分の人生を自分で決めて生きることであった。そのためには、堂々と他人や社会に助けを求めて良いのである」。
正岡子規は、痛みにこらえきれず絶叫するなど凄絶な闘病生活のなかで、母八重と妹律に身体介護の助けを受けながら、自分のやりたい文芸活動を最期までやり通し、自分で決めた人生を、自立して生きた人だったのです。
映画の中で、野外で下痢をしてトイレに間に合わなかった鹿野に対し、介護する美咲が自分も下痢をして試験中に「おもらし」したことがあると告白し、鹿野の心の負担を取ってあげるシーンには感動しました。
今、目の前に居る人を喜ばせるために、私たちは「歳をとったら、できないことが増えるのは当たり前。自分の人生を自立して生き抜くために、堂々と私たちに助けを求めてくださいね」という気持ちを常に持ち、介護することが大切であると、この映画に教えてもらいました。
平成31年2月24日