名誉院長の麻生だより
上甲監督と2014年9月2日にお別れして、もう4年になります。第100回の夏の甲子園大会までは監督業を続けると言われていましたのに、志半ばでこの世を去られ、さぞ無念だったことでしょう。
私が三越の階段から転落して大けがを負ったとき、目を覚ますとすぐそばに大きな上甲スマイルがありました。「先生、お見舞いに来たよ」と渡されたのが一升瓶の富乃宝山だったことを、昨日のように思い出します。
野球の試合と治療に専念するあまり、「わがままでごめん」とタイトルまで決まっていた本の執筆ができなかったことは、監督にとっても心残りだったに違いありません。一生懸命に生きようとされた監督に、残された時間に限りのあることを、どのようにお伝えしたらよかったのか、今も自分の中で結論の出ないままでおります。
昨年の夏、済美は甲子園では3回戦にまで進み、盛岡大附属高校との試合で、満塁ホームランに満塁ホームランで返すという歴史に残る試合をしました。
今年の夏は監督の目指した第100回の甲子園大会。済美は星稜高校との試合で、史上初となる逆転満塁ホームランを放ち、準決勝にまで進みました。
甲子園で大活躍している済美高校ですが、関係者の中に、「これで上甲監督が居なくても甲子園に出場できることが証明された」という人がいました。
私はこれを聞いて愕然としました。何もなかった新設の済美高校野球部で、上甲監督が苦労して挨拶、礼儀を始めとする伝統を築き上げ、甲子園出場という殻を破った路線の上に、今の済美高校はあります。
中国のことわざに「水を飲むとき、井戸を掘った人の恩を忘れない」という言葉があります。先人の苦労に思いを馳せ、感謝する心がなければ、これから先、成功し続けることは難しいという意味です。困難に直面して必要な時は重宝がられ、用が無くなればあっさりと切り捨てられる世の中です。困難のなかにあって、礎を築くために最初に汗をかいた人は尊く、常に心の中に留め、その人への感謝の意を忘れないという気持ち無くして大業は成し遂げられません。
監督が娘さんに上甲家のお墓を集めてお祀りするように遺言されたことも、ご先祖さまへの感謝を忘れてはならないという教えだったのだと思います。
私は決して上甲監督のことを忘れません。これからも私たちを天国から見守っていてください。
平成30年9月24日