名誉院長の麻生だより
5月4日、MRIの搬出作業に立ち会った。廊下の幅、高さに対してギリギリの大きさである。圧巻は、レントゲン室の前の廊下から地下の玄関に向かう直角の曲がり角だった。「あと5mm右」という声が飛び交う。あの広い廊下で5mmの精度で方向転換する。それをエレベーターの前で見学していた。ふと、気がつくと私のとなりに誰か居る。トトロかと思ったら舟見くん(仮名)だった。
「どうしたの」と聞くと「僕は虫垂炎なんです。先生に散らしてくださいとお願いして、今抗生剤の点滴を済ませてきました」と言う。ちょこんと、私が舟見くんの右下腹部をつつくと痛がる。私は不安になった。「もし、痛くてたまらなくなったら、電話してくれ。外科を紹介する」と約束した。
翌日5月5日、朝回診でTさんが腹痛を訴える。腹部CTで腸閉塞を疑い、松山市民病院にTさんを救急車で搬送した。
搬送からの帰り、恩師の家に立ち寄り夕食をご馳走になっていると、舟見くんから連絡があった。「激痛がします」と言う。「すぐにタクシーを呼べ。椿神社の鳥居のところで待つ」と告げた。ちょうどその頃勤務を終えたななちゃん(仮名)の車で来た。普段はおとなしいななちゃんの勇ましい運転で、あっという間に松山市民病院に着いた。救急日の市民病院は混み合っている。なかなか診てもらえない。うつむいて必死に痛みを我慢する舟見くんがかわいそうだった。
夜の8時、松山市民病院から電話があった。「Tさんの診断は小腸の軸捻転、今、手術をするかどうか、本人と家族が相談しています」と言う。私が「今、市民病院のERの前に居ます。すぐ行きます」と告げると、主治医はびっくりしていた。外科の先生によれば、手術の成功確率は10%、手術をしなければ、1日2日で亡くなるとのことだった。
本人と家族は手術をしないことを選択していた。ご家族より「うわごとのように病院のみなさんの名前がでてきます。金子さんや舟見くん・・・」と言われ、「すぐに舟見くんを連れてきます」と言うと、今度は家族がびっくりした。
激痛に見舞われ不安のどん底にいる舟見くんが、Tさんの手を握り、これが最後になるかもしれないと「Tさん頑張ってね」と言ってる姿に涙が出た。
やっと舟見くんが外科の診察室に呼ばれる。緊急手術を覚悟していたが、「虫垂はきれいです。尿管結石ですね」と言われて、舟見くんは急に元気になった。
病室に移ったTさんに、もう一度舟見くんと一緒に会いに行く。その帰り舟見くんは名言を残した。「病は気からというのは本当ですね」。痛みは同じはずであるが、こうも元気になるものかと感心することしきりであった。
その後Tさんは奇跡的に回復し、砥部病院に帰ってきた。現在、舟見くんの勤務する病棟で、ベッド上ではあるが元気にラジオ体操をしている。
平成30年5月24日