名誉院長の麻生だより
先日、元愛媛大学医学部第3内科教授恩地森一先生より1通の手紙をいただきました。手紙には「この夏、済生会今治病院のOB会を立ち上げました。結構おもしろかったです。その時の会誌です。貴院でも如何ですか」と書いてありました。
会誌には色々な方々が、済生会今治病院に勤務していた時の思い出を綴っていました。私は済生会今治病院に勤務したことはまったくありませんが、それでも貴重な思い出があり、それを恩地先生に手紙に書いて送りました。以下は手紙の内容です。
西条中央病院に勤務して間もない頃、私は人間ドックの腹部エコーを担当していました。初めて診る方の多発性肝転移を伴う膵臓癌を見つけました。その方の娘さんに説明した時のことです。「こういうことが無いようにと、お母さんには毎年この病院で2泊3日の人間ドックを受けさせていたのに」と非常にお怒りになり、「どこか他の病院を紹介してください」と大きな声で言われました。
私は震える声で、「どこの病院でも紹介しますが、どこへ行ったとしても、膵臓癌末期の一人の患者さんとして扱われます。しかし当院でなら、引け目を感じる、大切な、大切な患者さんとして、一生懸命に診させていただきます」と言いました。しばらく沈黙の時間があって、「それじゃあ、先生に診てもらいます」と言われました。
家は東予市で少し距離はありましたが、心に引け目を感じていたので、せっせ、せっせと往診しました。
お母さんが亡くなられた後、娘さんから大きな花束をいただきました。そして、「これを恩地先生に渡してちょうだい」と1通の手紙を渡されました。ドキッとして居ても立っても居られず、すぐに大学へ行きました。恩地教授はその手紙を私の目の前で開封してくださり、「よくやってくれたと書いてあるよ」と言ってくださいました。
その中に一枚の写真が同封されていました。それは、若き日の恩地教授が済生会今治病院に勤務されていた時、外来のお付きの看護師さんと一緒に写った写真でした。その看護師さんが、あの娘さんだったことを初めて知り、びっくりしました。
これが私の済生会今治病院の思い出です。どこにどんなご縁があるかわかりません。その時、その時を大切に、会う人、会う人に誠実に接しなければならないと、改めて思う今日この頃です。
平成29年11月19日