名誉院長の麻生だより
昔、私の演題は「認知症をあきらめない」でしたが、「老いをあきらめて生きる」「老いも認知症もあきらめて生きる」、最近の講演では「老いも認知症も妻もあきらめて生きる」に変わっています。
もちろん、正常圧水頭症、慢性硬膜下血腫や甲状腺機能低下症など、治る認知症もたくさんありますから、認知症の鑑別、早期発見、早期治療のための受診を勧めます。
さて、「あきらめる」の本義は、明らかに、正しく見極めて、あるがままの姿で、一旦受け入れることにあります。
アルツハイマー型認知症、脳血管性認知症、レビー小体型認知症、前頭側頭型認知症などでは、まずその人の症状を明らかに、正しく観てあげて、そのままの状態で受け入れることが肝要となります。
ここに大声を出して暴れる人がいます。アルツハイマー型の認知症と診断されました。この人を「あきらめる(明らめる)」ことなく、この大声を出して暴れることのみに注目した場合、言葉での抑制、薬物による抑制、身体抑制が行われることになります。
そうではなく、この大声と暴れることが、何らかの欲求不満があって、自分の置かれている状況に適応しようとした行動であると考えることが大切です。この人の身体的状況、人生の歴史、社会的状況(家族関係や周囲の人たちとの関係)、ケアの質に思いを馳せ、原因を究明することが、「あきらめる(明らめる)」ことなのです。
認知症の人の行動心理症状(BPSD)は、周囲でお世話する人にとっては非常に大変な症状ですが、まず、その人をあるがままの姿で受け入れ、何故そういう症状が出現するのかということを、真剣に考えてあげるところから、認知症の治療がはじまります。
考えるのは、皆さんです。身近でお世話をしている、ヘルパーさん、看護師さんが、一番その答を導き出しやすいと思われます。
認知症の人の行動心理症状(BPSD)、いわゆる問題行動と言われてきたものは、その人の人生の歴史、身体的状況、社会的状況、ケアの質というフィルターを通して出現するということを、もう一度、思い起してください。患者さんとの人間的関わり合いを第一に、作業でなく仕事をすると、毎日がとても楽しくなります。
平成29年6月24日