名誉院長の麻生だより
平成28年9月4日、私の敬愛する元愛媛大学医学部第2解剖学教授上原康生先生が亡くなられました。医学部の2年生の時から私は上原先生の教室に出入りして、研究はそこそこに、よく先生の家でご馳走になっていました。
解剖学教室の大学院生となり、撮った膀胱の平滑筋の電子顕微鏡写真をMolecular Biology of the Cellという本に載せていただきました。後にアメリカに留学した時、学生や研究者たちが皆この本を持っていて、私の名前と写真が載っているのを見てビックリしていました。これも上原先生のおかげです。
上原先生は愛媛大学教授から熊本大学医学部教授になられ、1年早く定年退官され、また愛媛に戻って来られていました。私が砥部病院の院長になった時、一番喜んでくださったのは上原先生でした。
以後16年間、上原先生と学問を介さないお付き合いが始まりました。当時広島日赤の院長だった平田弘先生は、上原先生の九州大学医学部の同級生で、よくこちらに遊びに来られていました。平田先生は「中城君、いいワインを持ってきたから、今すぐ飲みに来なさい」と電話してくださり、よく上原先生のお宅にお邪魔しました。
心筋梗塞、前立腺癌、食道癌で世捨て人になっていた宇都宮亨元愛媛大学医学部教務係長は、上原先生と釣りにいくことにより、大変元気になりました。上原先生との釣りは至福のひと時でした。
上原先生は私に「年寄りに、あれ食うな、これ食うなと、言うな」とよく言われていました。最近になって老年医学会が「フレイル」という言葉を採用して、老人の筋力の衰えが問題視されています。最近では県病院の腎臓内科においても、慢性腎不全の老人にも食事制限はしないで「肉をたくさん食べなさい」と指導しています。上原先生の言葉はまさに先見の明があったと思います。
上原先生が肺炎を起こされた時、心不全になられた時、透析を導入された時、大腸がんになられた時、総胆管結石になられた時、私は愛媛洋行の白石社長とすぐに駆けつけました。これは学生時代の恩返しです。8月初旬に神戸でお会いしたのが最後になりました。
まだまだ会ってお話が聞きたかったのに、ご恩返しをしたかったのに、残念で、残念でなりません。
上原先生のご冥福をお祈りします。
平成28年9月24日