名誉院長の麻生だより
「初心忘るべからず」という言葉は誰もが聞いたことがあると思います。大辞林で調べると「学びはじめたころの、謙虚で緊張した気持ちを失うなの意」また「最初の志を忘れてはならないという意」と書いてあります。
この言葉の出典は、父の観阿弥(かんあみ)とともに、室町時代初期、猿楽(現在の能)を大成した世阿弥(ぜあみ)が書いた「花鏡」(かきょう)にあります。
原典を読んでみれば、「初心忘るべからず」という言葉は一般に考えられている意味と少し違います。
「しかれば当流に、万能一徳の一句あり。
初心忘るべからず。
この句、三ヶ条の口伝(くでん)あり。
是非の初心忘るべからず。
時々の初心忘るべからず。
老後の初心忘るべからず。
この三、よくよく口伝すべし」とあります。
「初心」とは「最初の時の技術の未熟なレベル」を意味します。つまり、一番目の「是非の初心忘るべからず」は「最初の時の技術の未熟さを忘れてはならない」ということです。最初、どれだけ自分の技術が未熟であったかということを覚えておくことで、自分の技術の上達ぶりを相対的に知ることができますし、過去の過ちを覚えておけば、同じ過ちを犯さなくてすみます。
「時々の初心」とは、技術が上達していく過程において、その段階段階におけるそれぞれの「初心」があるはずです。技術を上達させたいのであれば、その時々の初心も忘れてはなりません。
さらに、年老いてある程度の技術の極みにまで達しても、これで良いと言えるような到達点はありません。老境あったとしても、その境地に足を踏み入れた時点で、それはそれで新たな初心なのです。
砥部病院では、若くてかわいらしくて、技術が未熟な看護師、ヘルパー、事務員さんから、美しくて、かわいらしくて、大ベテランの徳本福子総師長まで全員が「初心忘るべからず」なのです。
平成27年4月24日