名誉院長の麻生だより
昨年の4月、戦没者慰霊祭で遺族会の会長である加地さんが、次のように挨拶されました。「父は、昭和19年7月、私が5歳、妹が3歳の時、ニューギニアで戦死しました。母と一緒に善通寺まで、遺骨を引き取りに行き、軍人さんに、父の遺骨の入った木箱を白い布で私の首に巻き付けていただきました。箱の中では何か転がる音がしていて、家に帰って箱を開けてみると、石ころがひとつ入っているだけでした。その石がニューギニア島のものかどうかもわかりませんでした。一家の大黒柱を失った母は、百姓仕事をする傍ら、製材所で男の人がするような力仕事をして、私たちを育ててくれました。私も線路の補修や竹を切ったりして家計を助けました。あの戦争によって、私の一家の運命は激変したのです」というものでした。このお話で、遠い過去の戦争を身近な悲惨な出来事に感じることができました。ところが、先日、三島神社の氏子総代会で、慰霊祭を中止する緊急動議が出され、多数決が行われ11対7で慰霊祭は中止することになりました。理由は次の通りです。
1.遺族が高齢化して出席が難しい
2.欠席した遺族に砂糖を配るのが区長の負担になる
3.戦没者慰霊祭は無宗教にすべきである
私はこの話を聞いて憤りを感じました。氏子総代は、如何にして1300年の歴史を持つ三島神社を後世に残すかというところに尽力すべきです。それにもかかわらず、任期数年の腰掛け氏子総代が100年間続いた戦没者慰霊祭の歴史に多数決で終止符を打つというのは暴挙でしかありません。世の中には多数決などの数の論理で決定してはならないことがたくさんあります。「何か決断を下す時、損得で判断するのではなく善悪で心をきめよ」と済美高校の野澤校長は言われました。また、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉もあります。日本人の精神の崇高さは、ご先祖さまを敬い、その入口に存せられる両親を大切にすることにあります。
「身はたとい異国の花と散りぬとも今ふるさとに心生きゆく」と詠んで逝かれた先人に対して、慰霊祭を中止することは申し訳が立たないと声を大にして三島神社氏子総代会に再考を促しているところです。皆さんはしっかり親孝行をしてくださいね。
平成26年4月24日