名誉院長の麻生だより
今回は「おやじの弁当」の話を紹介します。
『故・樋口清之教授(国学院大学)の友人で、よく貧乏に耐えて勉学にひたむきに努める人がいた。その友人が勉学に励んだ動機は、「おやじの弁当」だという。
彼はある日、母の作る父の弁当を間違えて持って行ってしまった。彼曰く、おやじの弁当は軽く、俺の弁当は重かった。おやじの弁当箱はご飯が半分で、自分の弁当には、いっぱい入っており、おやじの弁当のおかずは味噌がご飯の上に乗せてあっただけなのに、自分の弁当にはメザシが入っていたことを、間違えて初めて知った。父子の弁当の内容を一番よく知っている両親は一切黙して語らず。肉体労働をしている親が子供の分量の半分で、おかずのない弁当を持ってゆく。これを知った瞬間、「子を思う親の真(愛)情」が分かり、胸つまり、涙あふれ、その弁当すら食べられなかった。その感動の涙が勉学の決意になり、涙しながら両親の期待を裏切るまいと心に誓ったという』
砥部病院にも「おやじの弁当」の心を持った人達がいます。それは、昔からずっと勤めてくれている看護師さんたちです。新人が看護学校へ行っている間の仕事を文句一つ言わず引き受けて、実習に入ると仕事の量が増えるのに、これまた文句一つ言わないで、学生さんを笑顔で送り出しています。学生さんたちは、こうして昔から砥部病院で働いている看護師さんたちの「おやじの弁当」を食べながら、正看護師の免許を取ることができたということを自覚しているでしょうか。准看の資格を取るための学費、入学金を病院側が出して、資格を取ってから4年働けばお金は返さなくてよいということになっていますが、そのうちの3年間は正看護師の免許を取るための学生の期間です。正看護師の免許修得後、たった1年だけ常勤の職員として働き、すぐに他の病院に行く人が多いのはこのためであります。しかし、病院の規定は規定として、大切なことは人間としての道義であると私は思います。「おやじの弁当」です。自分たちが勉強出来たのは、多くの他の看護師さんたちが、自分の仕事をカバーしてくれたからであるという思いを大切にしてください。同僚の恩を忘れ、恩に報いる気持ちの無い人に決して成功は訪れません。
平成26年3月24日